高校・大学時代、およそ5年間でしたが、音楽仲間とバンドをやっていました。担当楽器はベースギター。
中学時代(1967-1969)、叔父にガットギターをもらい、友人達とフォークソング・グループのようなものはやっていました。当時、オールナイトニッポンを毎晩聴いてましたし、土曜日には新宿西口の反戦フォーク集会へ行ったりもしました。ニッポン放送の公開収録番組へ行って、フォーク・クルセイダーズ解散直後の加藤和彦さんにお目にかかったりしたこともありました。
中学生の頃は、エレクトリックな楽器でバンド活動をした記憶はあまりありません。しかし、ローリング・ストーンズをかっこよくコピーしていた上級生のバンドを観にいったり、年上の従姉妹が夢中だったザ・ビートルズを一緒に聴いたり、グレコ製ヘフナー・モデルのベースギターをすでに手に入れて練習したりしていました。中学の3年間、ザ・ビートルズ中期から解散まで、ローリング・ストーンズはちょうどアルバム「Beggars Banquet」「Let It Bleed」が出た頃をリアルタイムで体験しました。
高校入学してまもなく、同級生2人と
バンド結成。1970年のことです。高校生の水準をはるかに超えたクラシックピアノを演奏するキーボードHM、ブリティッシュ・ロック、特にプログレ・ロックに精通していた、熱血ドラムTH。プログレ系キーボード・トリオで、ザ・ナイス、ピンク・フロイドのカバーなどもしましたが、主にオリジナル曲をつくって演奏していました。
僕たちがバンド結成してまもなく、レッド・ツェッペリン初来日、EL&P結成・来日(オープニングアクトは山内テツさんのフリー)、などをメンバーと観に行ったり、振り返ってみると青春時代は、ロック・ミュージックの黄金時代とシンクロしていました。
高校時代は、自分達の文化祭、友人の高校の文化祭、大学の学園祭で演奏したり、ホールを借りて仲間のバンドと一緒にライブをやったりしました。ちょうど大学入学の頃、渋谷ジャンジャンのオーディションに合格し、出演したこともあります。
大学時代は、ギター2人が加わって、73年早稲田祭でオールマン・ブラザース・バンドのフィルモア・イースト・ライブ曲を中心にカバー演奏したこともありました。
この早稲田祭ライブがきっかけで、74年春に目黒公会堂で、四人囃子、クリエイション、ジョー山中さんたちのライブのオープニングアクトをしたこともありました。
大学3年夏に建築の勉強に専念するため「封印」するまで、バンド活動は僕の生活の一部でした。
そして時は過ぎ、今から5年ほど前ですが、学生時代のバンド仲間HMの大病、別の仲間の死などがきっかけで、昔の仲間と再会する機会があり、およそ35年ぶりに
バンド活動を再開することになります。