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礀居(かんきょ), 堀口捨巳 ,1966

茶室「礀居」は、堀口捨巳晩年の代表作です。先日訪問した、村野藤吾設計の旧千代田生命本社ビル・茶室と同年竣工(たしか施工はいずれも水澤工務店)です。

僕が礀居を訪問したのはいつだったかなと、しばらく前から昔のネガなど探したがみつからず(遠慮してかどうも撮影しなかったようです)、古い手帳を調べたら、1987年7月22日とメモがありました。
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ローマ大学留学中に近代建築史を指導していただいたカルロ・セヴェラーティ教授(以下、カルロさん)が、日本の近代建築を研究する目的で1987年に来日し、霊南坂のA.レイモンド自邸(1923年)、堀口捨巳設計の若狭邸(1939年)など、都内にある初期モダニズム作品を一緒に観て歩いたのですが、その際、「なにか観たい建物はないか?」と訊かれ、モダニズム作品ではないが堀口捨巳設計「礀居」を是非訪問したいとリクエストしたところ、どなたかの伝手でアポイントをとってくださって、カルロさんと二人で「礀居」にお邪魔し拝見させていただきました。

d0266559_163420.jpg最近では、「表現者・堀口捨巳(藤岡洋保著, 中央公論美術出版, 2009年)」など詳細な研究書がありますが、当時は堀口捨巳作品集的なものは雑誌「SD」82年01月号の特集くらいしかなく、それでも当時から、堀口捨巳の分離派時代や戦前のモダニズム作品、後にてがけた数奇屋・茶室研究には惹かれるものがありました。

僕は茶室の研究者でないので詳しいことはわかりませんが、施主の要望で栗材を多く用いた意匠、秋をテーマにした庭園は、独特な「田舎らしさ」の表現、端正な品格があって、これが堀口捨巳なんだなと深く印象に残るものでした。




*「礀(石閒)」の文字は、各種印刷資料では「石間」と表記していますが、パソコン日本語OS環境にこの文字が見当たらず、命名の由来とされる「鳥鳴礀(ちょうめいかん)」もネット上では同様に表記され、また単漢字的にもおおむね「間」=「閒」のようなので(新字源)ここではこのように表記します。
by paveau | 2013-01-27 16:04 | 建築の話題 | Trackback | Comments(0)
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