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長 谷 川 正 允 の ブ ロ グ !

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小津安二郎

週末に久しぶりに小津監督の晩年の作品「お早よう(1959年)」を観ました。

この映画を撮った頃、小津監督はすでに独特な映像表現、特に、床に座るなど日本の生活様式に由来する空間描写、いわゆる小津スタイルを確立し、代表作「東京物語(1953年)」が英国で映画賞を受賞したり、また文部大臣賞受賞するなど、国内外で巨匠として評価され、円熟期を迎えていました。
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小津映画、特に晩年の作品というと、ホーム・ドラマであっても大学教授、会社重役、その令嬢といった、エリートな登場人物のストーリーが多い印象があるのですが、この「お早よう」は戦後1950年代後半の新興住宅地を舞台にした、ごく普通の庶民の生活を描いた「普通の娯楽映画」です。なのにといいますか、豪華キャストや凝った小道具、カラーになってからの色彩感、諸々の映像スタイル、音楽は黛敏郎など、文芸映画のように撮っているところが独特で面白いです。

人々の娯楽として映画が黄金時代を築いた一方で、家庭に電気製品、とりわけTVが普及し始めるという、「映画」にとってはドラスティックな試練がおとずれようとしていたことも予感させます。

男の子の兄弟を主人公にした小津映画としては、白黒サイレント時代の名作「生まれてはみたけれど(1932年)」があり、「お早よう」はそのセルフリメーク的な印象もあります。戦前、戦後を通して和洋折衷折合いを付けながら人々の暮らしに根付いていた和服、和室の生活はこの映画でも健在ですが、それらをほとんど目にしなくなった今日の眼で見ると、圧倒的に日本的なものを感じます。

「お早よう」は、新興住宅地の木造庶民住宅の内・外部シーン、佐田啓二の鉄筋アパートメントの共用廊下・住戸内シーンをセット撮影したらしいのですが、今回久しぶりに観直してみて、障子、襖、勝手口ガラス戸、玄関扉など、室内空間の多くをありふれた建具で構成しているのがとても印象的でした。鉄筋アパートメントでさえも、主要室は襖で仕切った2間続きの和室ですし、バルコニーに面する(おそらくスチール・サッシの)硝子窓には、障子が入っている(14min付近、63min付近)。木造庶民住宅の玄関扉は外開き、鉄筋アパートメント玄関ドアは内開きなのも、さすが凝ったセットだなと思いました。



イタリア留学中の僕の師匠だった建築家コスタンティーノ・ダルディ教授(以下、ニーノ)は、当時ヴェネチア・ビエンナーレ映画部門の委員をしていて、ヴィム・ヴェンダース監督と親しく、また小津映画も大好きでした。僕も多少はヴェンダース映画、小津映画を観ていたので、ニーノとはオヅ映画がなにかとよく話題になりました。そして、ちょうどその頃、ヴェンダース監督がオヅへのオマージュ「東京画(1983年)」を撮ってるんだという話をニーノから聞いたのでありました。僕自身、それまでもちろんお気に入りの映画ではあった小津映画に、より深いオマージュを抱くようになったのは、この頃からだと思います。

「小早川家の秋(1961年)」は留学中にローマのシネクラブで(おそらくインテリ層の)満員のイタリア人オヅ・ファンに囲まれてはじめて観ましたが、上映中、普通におかしいところで思わず笑ったのが僕だけだったこと、一瞬にして自分が日本人であることを意識したことを覚えています。「東京画」は帰国後日本で観ましたが、その頃、蓮見重彦さんの「監督 小津安二郎(1983年,筑摩書房)」が出版され、小津映画の楽しみ方がいっそう深まったように思います。

余談ですが、「東京物語」「お早よう」で警官役の俳優、諸角啓二郎さんは、僕の大学時代からの親しい友人(イタリア留学も同時期)の父上でして、いつもこれら小津映画を観るたびに、この友人を羨ましく思います。


by paveau | 2013-02-05 00:55 | 映画
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