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長 谷 川 正 允 の ブ ロ グ !

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サヴォア邸 Villa Savoye その2

最近のサヴォア邸の写真をみて、僕が学生時代に訪れたとき(1978年)と細部があちこち異なるのに気づいたことは以前書きましたが、その後少し気になって、ときどきいろんな写真集などを観ていました。
サヴォア邸 Villa Savoye その2_d0266559_11422043.jpg
サヴォア邸 企画・編集・撮影:二川幸夫 ADA Edita Tokyo,2009年


先週急逝された二川幸夫さんが近年出版した大判のサヴォア邸写真集(ADA Edita Tokyo,2009年)を観ていたら、僕が訪れた頃と同じリビングの古い照明器具が写っている写真(p.43)をみつけたりして、二川さんはサヴォア邸へもきっと何度も撮影に行ったんだなと感慨深く思いました(生前、去る1月の講演会でラ・トゥレットへは26回行ったが未だにわからないところがあるんだ!とおっしゃってました)。

さて、サヴォア邸は、保険業を営む裕福なサヴォア夫妻の週末住宅として設計・建設された500m2超(屋上庭園等を含むと約1000m2)の大邸宅です。モダニズムを好んだエミリ夫人が実質的建主だったこと、1931年竣工直後からの雨漏りが原因で必ずしもル・コルビュジエとは良好な関係ではなかったらしいことが史料から知られています。

第2次大戦により夫妻は38年頃国外移住、大戦中は独軍が、引続き米軍が占拠、その後1945年頃から60年頃まで放置され、廃墟のようだったといわれています。その頃の荒れ果てたサヴォア邸の様子は、マグナムのカメラマン、ルネ・ブッリ(Rene Burri)の "Le Corbusier, 1959"という写真集などで観ることができます。

マグナムのweb site

60年頃、高校建設の際にサヴォア邸は取壊しの危機に遭いますが、ル・コルビュジエ存命中にA.マルロー文化相らにより、モダニズム建築初の文化遺産指定を受けて保存され、今日に至っています。現在は入場料を徴収して一般公開し、また、パーティ会場等として貸出したりもしているようです。



近代建築最高の住宅作品といわれるサヴォア邸ですが、興味深いことのひとつは、水平連続窓、竪割・横割、大判などいろいろな鋼製サッシ、RC造の床と柱による「ドミノ」式構造体を実現している一方で、外壁や3階ソラリウムの自立壁が、華奢なRC造リブで補強した、簡素な(そして伝統的な)レンガ積(または近代イタリアなどでは一般的な中空テラコッタブロック積?)でできていることです。

S.ギーディオンが約2年に及んだ新築工事中に現場を訪れて撮影した興味深い施工中の写真が、G.ポンピドゥ・センターの季刊誌「カイエ(Les Cahiers)no.82、建築特集、2003」に掲載されていて、それらがレンガ積であることが確認できます。このギーディオンが撮った新築時現場写真の1枚が、フランス文化センター le Centre des monuments nationaux の日本語解説pdfにも掲載されています。

またそれとは別に、イタリア人美術史家E.カメサスカ著"Storia della Casa(住宅の歴史),Rizzoli,1968"という住宅建築史の本をみていたら偶然、1967年頃撮影と思われますが、最初の保存修復工事が始まった頃のカラーの現場写真を見つけ、ソラリウムの自立壁の白い仕上左官材を剥がしたレンガ積の状態を知ることができました。
サヴォア邸 Villa Savoye その2_d0266559_1111380.jpg
Ettore Camesasca, "Storia della Casa",Rizzoli,1968,p.323

藤木忠善著「ル・コルビュジエの国立西洋美術館」(2011年、鹿島出版会、p.103)にも1965年著者自身撮影の「廃墟時代」の鮮明なカラー写真が掲載されています。


さて。二川さんのサヴォア邸写真集に戻りますが、近年撮影したと思われる写真をみますと、3階ソラリウム周辺の床(2階フラット・ルーフ)は砂利敷で、周辺部にはわずかな立上りしかなく、しかもよくみると、巻上げたアスファルト防水が露出しています(pp.73-75)。外壁についても、L-C全集第2巻掲載断面図などをみると、室内廻りの大半は空気層を設けて二重壁になってはいるものの、それらの外部側壁体や、2階テラス、3階ソラリウム廻りの自立壁はレンガ一重積に左官仕上げ、伸縮目地等みあたりません。屋上テラスや2階キッチン前のサービス・テラスには、何ヵ所か直径数cmのガーゴイルが外壁面から数〜十数cm突出していたり(p.14、p.18)、3階への外部スロープ上り口廻りに78年当時なかったグレーチング付トレンチを設置したり(p.70)していて、保存修復時の雨水処理のデザインが多少推測できますが、どの程度の、どんな方向の水勾配、雨水排水策をとっているのでしょうか?

それで美しい立面プロポーション、軽やかな2階リビング庇などを維持・実現しているわけですが、写真でみる限り比較的軽便な雨水処理・防水改修で対応しているようなので、もう雨漏りは解消したのか、たいへん興味深いところであります。







2013.11.12 追記
最近知りましたが、サヴォア邸の見学者用パンフレットに「廃墟時代」以降の改修工事の概略(4期に大別)が記載されているようです。最初の改修工事が1963~67年(カメサスカ前掲書掲載の改修工事現場写真がこのことです)、2回目が1977年から数年間(僕が訪問したのはなんとこの工事の最中!!だったようです)、3回目が1985~92(構造補強、防水、ファサード改修。友人が工事中で見学できなかったといっていた時期のようです)、4回目が1997年(塗装、電気設備など)。

竣工から20年ほどで戦争に巻込まれるなど廃墟と化したものの、後の50年間に4回、しかもそのうち2回はそれぞれ4~7年間もかけて維持・改修してきたことは、スクラップ・アンド・ビルドが建築の常識のようなわが国からみて、まったく異なる文化があるんだなと痛感します。建築物の保存だけでなく、「建築」の構法・技術的特質、文化制度的枠組、財源・所有管理運営形態、時間経過など、詳細な批評及び史料として記録し、議論するべきものなんだろうと思います。
by paveau | 2013-03-16 01:30 | 建築の話題
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