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長 谷 川 正 允 の ブ ロ グ !

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John Lennon

ことしも年末が近づいてきました。
夜中にふと、目が覚めたりして。

この頃になると僕の脳みそのジョンが、だんだん大きくなってきます。
うるさい歌は、"Come Together" とか、"Yer Blues" が好きです。

静かな歌は、"Strowberry Fields Forever (YouTube)" がいちばん好きです。
by paveau | 2012-11-28 03:47 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

Broken Arrow (ブロークン・アロー)

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昨夜は、目黒権ノ助坂にある老舗ライブハウス「鹿鳴館」にて、「権ノ助坂 音de・フェス vol.2」という、アマチュア・バンド、6バンドが出演するイベントがあり、am.pan の g.&vocal リキさんの別バンドBroken Arrow (ブロークン・アロー)に加わって、E・クラプトンのカバー曲"Badge (YouTube)"などを演奏してきました。
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by paveau | 2012-11-24 18:39 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

am.pan (エイエム・ドット・パン) sS・ユニット

先週11月17日(土)はあいにくの雨でしたが、地元西小山の呑川緑道沿いにある「エンタメ食堂SLOW」という、なんともいえない不思議ないい雰囲気のBARでライブ企画があり、am.pan (エイエム・ドット・パン) sS・ユニットも初出演させていただき、"Little Wing (YouTube)" 、"Knockin' On Heaven's Door (YouTube)"などを演奏しました。
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sS・ユニットというのは、ドラムレスのS(=Small)ユニットなのですが、今回はspecial smallといいますか、ムコさん(kb)お休み、B(=Big)ユニットでご一緒しているNさん(g)参加、というはじめての編成で出演、お客さんもはじめてのかたがほとんどでしたが、一緒に盛り上がって楽しいライブができました。
by paveau | 2012-11-22 23:04 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

僕のビアンカ

僕のビアンカ  ナンニ・モレッティ, 1984
Bianca   Nanni Moretti , 1984

1984年封切時にローマでロードショウで観た、ナンニ・モレッティ監督・主演のお気に入りの映画です。日本劇場公開時の邦題は「僕のビアンカ」でした。
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最近amazon.ukでみつけたイタリア版DVD(伊・英字幕付・pal/region2)


モレッティ監督は僕と同世代ということで、留学当時、映画好きの友人達の間でもよく話題になりました。"Ecce Bombo(青春のくずやおはらい), 1978"、 "Sogni d'oro(監督ミケーレの黄金の夢)1981"もシネクラブで観て、冗談好きでゆるいような、それでいて知的で厳格なような、独特なおもしろい映画をつくる人だなと関心をもっていましたが、"Bianca"は初めて観たときからさらに一段、妙に親近感を感じる、お気に入りの映画でありました。

今夏日本でも公開された最新作「Habemus Papam(ローマ法王の休日), 2011」まで、モレッティ監督の作品はほとんど観ましたが、今でも"Bianca"が一番好きです。

余談ですが、ヒロイン、ビアンカ役のラウラ・モランテさんもだいたい僕と同世代の女優さんです。ヒット作「La stanza del figlio(息子の部屋)2001」をはじめ、多くのモレッティ監督作品で共演していますが、作家A.モラヴィアの最初の奥さんだった、作家エルサ・モランテの姪御さんなんだそうです。
by paveau | 2012-11-22 12:40 | 映画 | Trackback | Comments(0)

カーザ・マラパルテ  アダルベルト・リベラ 1938-40

カーザ・マラパルテ(カプリ島)  アダルベルト・リベラ 1938-40
Casa Malaparte (Capri) Adalberto Libera, 1938-40

1983年初夏、はじめてカプリ島へ旅行した際、カーザ・マラパルテにはひとけがなく、外観しかみられませんでしたが、翌年再びカプリ島を訪れた際、偶然人がいて、室内もみせていただくことができました。

屋上テラスとイ・ファラリオーニ(i faraglioni)
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玄関廻り
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玄関扉は内開サッシレス単板ガラス。

サロン南西側
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サロン南西側ピクチャーウィンドウとイ・ファラリオーニ i faraglioniの眺め
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サロン北東側(ソレント半島方向)
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広間のピクチャ・ウィンドウも玄関同様のサッシレス単板ガラス(左半分が竪軸回転)。大きな木彫はペリクレ・ファッツィーニ(Pericle Fazzini)作。

書斎
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造付けのライティング・デスクは北東、海の先のソレント半島方向の窓に面しています。セイレーン神話のイ・ガッリ諸島(i Galli)は、この半島南西沿岸ポジターノ沖にあります。



カーザ・マラパルテは、J-L.ゴダール監督、A.モラヴィア原作、B.バルドー、M.ピコリ主演の映画「軽蔑(Le Mépris), 1963」のロケ地として広く知られていて、ご覧になったかたも多いと思います。建築分野で僕がはじめて知ったのは、NYCの建築家J.ヘイダックが雑誌DOMUS,1980,n605に「Casa Come Me(わたしのような家)」と題して寄稿したのを目にした時でした。翌年には日本でも雑誌a+u(81年4月号)もヘイダックのカーザ・マラパルテ論の和訳を掲載しましたが、今DOMUSが手元にないので同じ文章か定かでありません。

同年、雑誌Gran Bazaar(81年7月号)が美しい写真とともに、建築史家M.タフーリの「L'ascesi e il gioco」と題する論考を掲載し、僕はこの記事をみて、一度訪れてみたいと思いました。タフーリの文章は難解な内容で、イタリア人の友人にも質問したりしましたが、今なおあちこちよくわかりません。もしかするとどなたか既に和訳されているかもしれません。

これらも含め、多くの建築家、評論家が話題にするだけのことはある、といいますか、一度みたら忘れないような独特な、風変わりな外観、絶壁の特異な立地のようにもみえますが、実際に訪問してみると、とても気持ちのよい、魅力的なイタリアの近代建築の名作住宅といえるでしょう。
by paveau | 2012-11-21 00:19 | 建築の話題 | Trackback | Comments(0)

旧千代田生命本社ビル 茶室, 村野藤吾, 1966(現目黒区総合庁舎)

旧千代田生命本社ビル茶室(村野藤吾設計, 1966)

旧千代田生命本社ビルは同社経営破綻後、目黒区が取得、2003年以降、総合庁舎として利用していますが、先週、裏千家の茶道体験会に参加し、茶室を拝見してきました。
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by paveau | 2012-11-19 00:40 | 建築の話題 | Trackback | Comments(0)

村野藤吾と前川國男: 西欧の記憶と美術館

Murano Togo e Maekawa Kunio
memorie e musei dell'Occidente

「村野藤吾と前川國男:西欧の記憶と美術館」

「Controspazio」誌1991年1月号, pp.55-66
日本建築特集<第2回>
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日本を代表する2人の建築家による美術館建築作品、村野藤吾設計の小山敬三美術館(1975)と、前川國男設計の国立西洋美術館増築(1980)を対比した日本近代建築論(原文イタリア語)。

小山敬三美術館外観
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僕がイタリア語で考え、書いた原稿を、ローマ大学で近代建築史をご指導いただいたC.セヴェラーティ教授と対話しながら推敲したため、日本語原稿がなく、自分で訳した日本語訳もありません(同誌巻末に和文抄録がありますが、僕が書いたものでなく、残念ながら論旨がわかりません)。
by paveau | 2012-11-16 22:01 | 著作・翻訳など | Trackback | Comments(0)

ニンファ (ローマ近郊) ninfa, Roma

ニンファ (ローマ近郊ラティーナ県) ninfa, Roma

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ローマの南東約50kmに位置する中世都市の廃墟。20世紀初頭、ガラシオ・カエターニ(Gelasio Caetani)がエリア一帯を自然庭園として保護整備し、2000年にラツィオ州自然遺産に指定されました。

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1977年以降、ロッフレード・カエターニ財団(La Fondazione Roffredo Caetani )が管理し、環境保護のため、冬期以外の毎月2日間程度の指定日に一般公開されています(有料・ガイド付)。

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Giardino di Ninfa
Doganella di Ninfa
Via Provinciale Ninfina 68
04012 Cisterna di Latina (LT)
http://www.fondazionecaetani.org/visita_ninfa.php
by paveau | 2012-11-13 00:40 | 建築の話題 | Trackback | Comments(0)

Rush Carbon 2007のチェーンホイール交換

4号機は2008年に、2007年型Rush Carbonフレームに換装したとき、Cannondale Carbon Siというクランク(FSA製OEM 22/32/44T)がセットされていました。

d0266559_10241262.jpg街乗りでアウター44Tを多用するせいか、2年余りで5~6,000km走った頃から44Tの歯が磨耗してギア落ちし始め、8,000kmの頃にはほとんど歯がなくなってしまいました。

Carbon Siクランク装備は、2007年完成車Rush Carbon 3同等のようですが、上位モデルRush Carbon 2(スペック表はシマノXTR)でもCarbon Siクランク装備完成車もあったようで、詳しいことはわかりません。44Tが使えなくなって、何度か調べたり、専門店に問合せしたりもしましたが、Carbon SiクランクがBB30なのか、通常のJIS(68mm)なのかわからず、また使えなくなったFSA製44Tだけを交換できるのかもわからなかったため、約2年ほど44Tを使わずに乗っていました。

この夏、フロント・タイヤがスローパンクし、リア・ブレーキパッドも交換したりしたので、ついでに44Tも修理することにしました。ネットオークションで程度のよいシマノIG-44T格安中古品をみつけ、HG非互換なのは承知でしたが、実際にどんな不具合が起きるのか事前に確認できなかったこともあり、試しに装着してみることにしました。
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d0266559_455596.jpgIG-44Tは、意外とすんなり交換装着でき、試走してみるとまったく使えないわけではないくらいの非互換であることがわかりました。つまりHGチェーンは9速用、IGチェーンは8速用でHGのほうがチェーン中空部内法が狭く、IGチェーンホイールはHGより歯に厚みがあるため、スプロケットを内側へ変速していくとき、フロント~リア間である程度以上角度がつくと、実際には9段のうちの内側半分程度までギア比を下げていくと、チェーンホイールからチェーンが抜けなくなるのでした。逆にスプロケット外側3,4段まではシフトしても特に不具合なく使えることもわかりました。

d0266559_471853.jpg一方さらに調べたところ、シマノLXグレードのHG-44Tが使えることがわかりました。ところが、専門店にもシマノにも在庫がなく一時期途方に暮れました。

しばらくIG-44Tのままでもさほど困りもしなかったですが、ほどなくある日偶然、運よく、amazon で在庫残1を2,000円ほどでみつけ、ようやくアウター・チェーンホイール交換が完了しました。
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今回、余り出費せずに無事修理完了しましたが、2007年型Carbon SiクランクがBB30なのか、通常のJIS(68mm)なのか、依然としてわかりません。もし、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけるとさいわいです。


2013.12.17追記
(1)シマノのHGチェーン
最近知りましたが、HGチェーンには8速以下用と9速用があるようで、非互換らしいです。
(2)Cannondale のBB30
2007年型Carbon Siクランクは、Cannondale のBB30でした。最近のロード・バイクではBB30のモデルがすいぶん多いようです。
by paveau | 2012-11-10 01:15 | 自転車 | Trackback | Comments(0)

プレシジョン ベース (フレットレス)  その2

このところフレットレスのプレシジョン ベースを愛用しています。詳しいことはよくわかりませんが、もともとフェンダー社のプレシジョン ベースは、バイオリン、チェロなどの仲間であるウッドベース(コントラバス)では音程をとるのが難しいため、フレットを打って「正確な」音程で演奏できる楽器として生まれ、エレクトリック音楽の分野で急速に普及しました。

高校時代、同級生のHM(kb),TH(dr)と3人でプログレ・バンドを結成し、1970年頃ですが、まもなく迎えた初ライブは、著名な美容研究家だったTHの母上の何かの銀座のイベントで、大橋巨泉さんのバンド、サラブレッズのオープニング・アクトでした。今でも覚えていますが、その時のサラブレッズのベースの人が、フェンダーjazz bassのフレットレスを弾いてらして、僕は生まれてはじめてフレットレス・ベースというものを知りました。

それから、まもなく、結成間もないエマーソン、レイク&パーマー(EL&P)が初来日し、3人でライブを観にいったのですが、このとき、オープニング・アクトがアンディ・フレイザーが抜けた後のフリーでした。フリーは前年に続いて2度目の来日、ベースはアンディに代わって日本人の山内テツさんが加入、彼がこのとき、フレットレスのプレシジョン ベースを弾いていました。

その後、フレットレス・ベースギターは、なんと言っても、ジャコ・パストリアスが自らフレットを抜いて改造したjazz bass で新しい音の世界を切り開いたのでした。

今では、フェンダーのフレットレス・ベースギターといえば、僕もそうですがほとんどの人はjazz bass を思い浮かべるのでしょうが、僕は昔観た山内テツさんのことを思い出して、プレシジョンのフレットレスを弾いてみることにしました。
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練習用にと手に入れたFenderJapanのフレットレス・プレシジョン



プレシジョンというのは、「正確な、精密な」といったことばです。プレシジョン ベースが生まれた頃、音楽を取り巻く状況は、新しい、ある意味便利な「精度」を求めていたのでしょう。しかし、フレットをつけることで失ってしまった、おおらかな自由のようなものもあるような気がします。

そんな自由な気持ちを音にできるといいなと思って練習しています。
by paveau | 2012-11-09 12:15 | 音楽 | Trackback | Comments(0)